ビックリ水族館 Bright Young!'s 
昔、「ビックリハウス」という毎月発売される雑誌を夢中で読んでいました。これは主に10代の少年少女の投稿で作られていた雑誌でした。 読者の書く文章やコラージュ写真、言葉遊びやパロディーなどがギッシリ詰まった大変面白い雑誌でした。 1984年、ビックリハウス誌上で、読者の作ったデモテープを募集し始めました。僕が当時心酔していたムーンライダーズの鈴木慶一氏が聞いてくれるというのです。
当時は、自宅で録音できるアマチュア向けの機材がようやく出揃ってきた頃でしたが「他人のデモテープを聞き合う場」というものがほとんどなかったのです。
僕はこの「ビックリ水族館」というコーナーに、合計200曲近くの自作曲を送りました。(このページからリンクしている「KASEO REKORZ」の川瀬哲也君、「CYBER CREATION」の関東正晃君も「集団下校」というグループで作品を送り、見事このアルバムに収録されました)。 僕の曲は採用され、このアルバムに収録されましたが、実はそれはビックリハウスの編集部から電話が来て「こういう曲が足りないんだけど、ちょっと作ってくれない?」と頼まれて作った曲でした(曲は3曲作り、その中から選ばれましたが、もちろん不正ではなくちゃんとした審査の末に選ばれたので誤解なきよう…)。
アルバムの発売日にさっそく買って聴いてみました。…絶句!いわゆる「普通の曲」がない!みんな発想豊かで今まで聴いたことの無い音楽ばかりでした。 「こいつら、どんな奴らなのかなあ〜。」僕は本とレコードの中の「仲間」と話がしたくなりました。
その機会はすぐに訪れたのです。徳間ジャパン(レコード会社)にみんなが集まって、見本盤をくれて、ついでにケーキを用意してお茶会をするというのです。 このアルバムには「ウィー・アー・ザ・ワールド」形式で、参加したメンバーがワンフレーズずつ歌う、という曲が入っていたのですが、僕は連絡の行き違いで参加できなかったので、初めてみんなと顔を合わせるのです。
そして当日、赤坂へ。…いたいた。「よう、君の曲面白かったよ!」「あの音はどうやって出しているの?」などと自宅録音談義で盛り上がりました。 鈴木慶一氏も来て、みんな見本盤にサインをしてもらい、さらに特製の譜面まで頂きました。(さらにその数日後に、この日のメンバーでライヴもするのだけれど、この話はまた機会があったら書くことにします)。
この日を境に収録メンバーの間で熱心な交流が始まりました。 デモテープの交換、バンドの結成、ライヴへの出演。お互いの家を行き来し、徹夜でレコードを聴いたり、音楽の話をしたり。 電話や手紙のやり取りも頻繁に行われ、いいレコードを見つけたら、それを持ち寄って聴いたりしました。 みんな若くて時間はあったし、本当に充実した音楽漬けの楽しい数年間を過ごしたのでした。
もちろん、今でも仲間とは交流があります。みんなしつこく音楽を続けています。 たまに思うのは「徳間ジャパンは、このアルバムのためにいくら使ったのかはわからないけれど、僕たちには凄くいい出会いが出来たので、感謝しなければ」ということです。 そう、これは僕らのために存在価値があるアルバムなのです。
このアルバムが発売された当時は、電子楽器もMIDIが出始めの頃でみんな持っていなかったし、サンプラーもオモチャみたいなものでした。 いいドラムマシンやエフェクターも無かったのですが、みんな熱心に音楽を作っていました。
このアルバムは、当時「音楽がすべて」だった若者たちの情熱が作り上げた「自宅録音前夜」の記録です。
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