学校の話

 

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バス酔い克服法

 小学校の頃には遠足などでバスに乗ると、必ず酔ってゲロを吐く子がいたものです。誰かがゲロを吐いてしまうと、その匂いなどでまたゲロを吐く子が出て、もらいゲロが広がり車内がパニックになる事もあるようです。

 あまりゲロゲロ書くのもなんですので、ここからは「バスに酔わない方法」を実践した僕らのお話です。


 小学校の頃、僕は体が弱くて、体育などもいわゆる「見学組」でした。体調が悪い事も多く、普段生活していても、吐き気をもよおす事は日常茶飯事だったのです。

 その日は小学校の修学旅行でした。長時間バスに乗らなければなりません。乗り物酔いに対する一抹の不安を持ったまま、僕はバスに乗りました。

 

 バスに乗ってしばらくすると、後ろに座っていた但木君が何かをクッと飲んだ事に気が付きました。「あれ?何飲んだの?」僕は聞きました。

「うん、車酔いというのは胸がモヤモヤして気分が悪くなるよね?でもこれを飲むと胸が熱くなって、それがおさまるんだ」但木君が答えました。

 但木君が持っていたのは、ウイスキーのミニボトルでした。サントリーオールド、通称「ダルマ」と呼ばれた真っ黒い瓶です。

 但木君は学校で一番勉強ができる子でした。だから但木君の言う事には絶対の信用があったのです。

 

「飲む?」但木君の誘いに僕もキャップで一杯飲みました。少しすると胸がモワ〜ッとして、確かに気分の悪いのがおさまった様な気がします。

 そうやってたまに飲ませてもらっていたのですが、そのうちバスの中ではゲロの誘いに耐えきれず、もどすクラスメイトが出始めました。

 僕と但木君は「ゲロはイヤだ」という信念の元、ウイスキーをキュッキュッと飲み続けました。


 幸い僕と但木君はサントリーオールドのおかげで、ゲロしないですみましたが、目的地に着いて歩くと頭がボワ〜ッとします。

 ストレートで飲み続けたため、すっかり酔っぱらっていたのです。バスには酔いませんでしたが、ウイスキーで酔っぱらったのでした。

 

 今になって考えると、小学生がウイスキーを飲みながらバスに乗っていたなんて、問題になってしまうかもしれませんが、その時は幸い先生にもクラスメイトにも見つかりませんでした。

 

 しかしヘロヘロに酔っていたせいか、どこで何を見たのかほとんど憶えていません。

 気が付いたらお土産屋さんで買ったと思われる木刀だけが手元にあったのでした。

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トロイカ

 僕の小学校には放送委員会があり、お昼休みには毎日、委員がディスクジョッキーを務めていました。しかし特に面白い内容はなく、ただレコードを流す程度のものでした。


 ヘヴィーローテーションで流れていたのが、「トロイカ」です。月に数度は流れていた事を考えると、学校にあった数少ないレコードの1つだったのだと推測されます。

 それこそ耳にタコが出来るほど「トロイカ」を聴かされました。

 

 しかも、この「トロイカ」はクセモノで、絶対に同じ場所で針が飛ぶのです。

「♪はし〜れトロイカれトロイカれトロイカれトロイカれ…」と延々リピートするのです。


 このままでは永遠に曲が終わりません。

 ここからが放送委員の個性が発揮されたのです。

 思いっきりブチッと終わらせて「トロイカでした。」と平然と言う、少しだけ針を進めてエンディングまで聴かせる、リピートしたままフェイドアウトさせるなど、各自で苦肉の策をひねり出していました。


「次の曲はトロイカです」という紹介があると「来るぞ来るぞ」とその部分を待ったものです。

「♪はし〜れトロイカれトロイカれトロイカれトロイカれ…」

 ぎゃはは〜!と僕らは笑い転げました。


「トロイカ」というと、小学校のお昼の放送を思い出します。そして、僕にとっては永遠に終わらない曲なのです。

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学級委員長に立候補

 

 これは、僕が中学校2年生の時の話です。

 中学2年生になってから、学級委員長はずっと「M君(仮名)」という人物が選ばれていました。

 M君はとても真面目で勉強もトップクラス、家は医者でポール・モーリアの大ファンという「優等生」を絵に描いたようなクラスメイトでした。

 M君は、僕の隣の席でした。

 僕は、実はそのM君があまり好きではなかったのです。表向きはとってもイイ奴でした。でもM君の優等生ではない部分にも、気が付いていたのです(他にも気が付いていた友人はいたようです)。


 正月が終わり、3学期が始まりました。僕は、ちょいと引っかき回してやろうと思い、学級委員長に立候補する事にしました。

 

 断っておきますが、僕は劣等生の見本のような生徒でした。テストはビリから数えて何番目だし、先生やクラスメイトにいくら言われても、長い髪を切ろうとしない、つまり問題児だったのです。

 

 仲のいい友達には、学級委員長を決める日に「俺、学級委員に立候補するからよろしくな」と声をかけました。

 友人は皆、本気にしません。まあ、それも当然です。


 色々な委員を決める時間がやってきました。

 

「では、学級委員長から。立候補はいますか?」

 こんな委員に立候補するヤツなんていません。全てはぬるま湯のような「お約束」の元で進行するのです。

 

 そこで僕が元気良く手を挙げました。

「はい!立候補します!」

 

 クラス中が騒然となりました。立候補?!それもKENNYが?!

 立候補が1人だけなら、当然その時点で、学級委員長は僕に決定です。しかし、担任とクラスの連中はそれを許しませんでした。

「一応、推薦でも何人か選ぶ方がいいと思います」

 クラスのバカモノが言いました。担任も「そうね。では、そうしましょうか」担任も僕にとってバカモノでした。


 6人程度の人物が男子から選ばれ、投票になりました。

 それが、意外な結果になったのです。

 M君と僕が同票1位で、再投票になったのです!

 

 M君は僕に「よお、KENNY。オマエにちゃんと学級委員ができるのか?」と睨みながら、みんなに聞こえないくらいの声で話しかけてきました。

 僕はニヤッと笑い「ああ、できるよ」と、M君にしか聞こえない声で答えました。


 全員の前で、1票ずつ結果が発表されます。黒板には、僕とM君の名前と、下に「正」の文字が並びます。

「M・・KENNY・・M・・M・・KENNY・・KENNY・・・」読み上げる声が教室に響きます。

 徐々にクラス全体がどよめいてきました。M君と僕は、接戦になっていたのです!追い抜き、追い抜かれながら、まったく同票のまま、残りがあと1票になりました。

「・・・M」

 その瞬間、M君が学級委員長に決定しました。僕は1票差で負けたのです。M君は隣で、安堵の表情をしていました。

「KENNYにも拍手をしてあげなさい」担任がホッとした顔で言いました。僕は、クラスに響きわたる拍手を聞きながら、この拍手は担任の先生の安堵の拍手なのだろうなあ、と考えていました。


 僕はこのクラスの時、今でも一緒にバンドやユニットをやっている「浦」という友達と同じクラスでした。

 その日、浦と一緒に帰りながら「ちくしょう、あと1票だったのによ〜。オマエも俺に入れたよな?」と何気なく聞いたのです。

 ・・・浦は、ただモジモジしています。

 

「オマエ、俺に入れなかったのか?」

「んだって、脅されたから、仕方なかったんだ!」

 

 何と浦は、M君の友人に脅されて、僕の名前を書かなかったという事実が発覚したのです!

「バカヤロー!オマエが俺の名前を書いてりゃ、Mは学級委員にならなかったんだぞ!」

「んだって、仕方なかったんだ〜!」

「バカヤロー!」「仕方ねえんだー!」

「なんでだー!」「仕方ねえべー!」


 午後3時、通学路の歩道橋の上で、二人のバカの絶叫は、しばらく続き、響きわたったのでありました。

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謎の転校生

 僕が小学校2年生の時の話です。

 1学期の終業式の日、つまり「明日から夏休み!」という気分で、みんなウキウキしていた日、担任の先生が、ひとりの男の子と一緒に教室に入ってきました。

「起立、礼、着席!」

 朝のホームルームで、先生は男の子を紹介しました。

「はい、みんな!今度●●から転校して来た●●君です。」

 僕らは「夏休みの前日に転校してきた男の子」を、とても面白がっていました。「今日はもういいから帰りなさい。」と言って、先生はその男の子を家に帰しました。

 次の日から、40日間の夏休みが始まりました。どう過ごしたのかは憶えていません。


 夏休みが終わり、2学期の始業式の日になりました。

 久しぶりに会うクラスメイトが、続々と教室に入って来ます。

 僕は、印象に残っていた「転校生」の顔を探していました。

 

 しばらくしても、転校生は教室に現れないので、僕は「転校生が来ねえぞ?」と口に出して言うようになっていました。

 入ってくるクラスメイトがいるたびに、僕が「まだ転校生来ねえなあ〜」と言うので、友達はみんなゲラゲラ笑いました。

 

 そのうち、学校の鐘が鳴りました。

 僕は「あれ?転校生が来ねえなあ?転校して行っちゃったんじゃねえの?」と大声で言いました。

 クラスが大爆笑になっている時、担任の先生が教室に入ってきました。


「起立、礼、着席!」

 僕はたまらず、先生に聞きました。

「先生!転校生は?」

 先生はぶっきらぼうにこう言いました。

「あ、転校した。」

 

 僕らは、その答えに呆然として、クラスはシンと静まりかえってしまいました。

「はい、夏休みの宿題を持っていらっしゃい!」

 すぐにいつもの教室の風景に戻りましたが、僕は不思議で不思議でしょうがありませんでした。


 彼は、どこから来て、どこに行ったのだろう?お父さんはどんな職業で、何回くらい忙しく転校を繰り返しているのだろう?

 たった数分のクラスメイトの事を、今でもたまに思い出すことがあります。

 もしかすると、旅芸人一座の子供だったのでは?サーカスのスターの息子だったのでは?

 

 もう調べる術もありませんが、まるで小説のエピソードのような、不思議な経験でした。

 名前も憶えていないあの少年が、もしかしたら今はスターになっているかもしれないと考える時、僕は、とても楽しい気分になるのです。

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僕の好きな先生

 学校の先生というのは、僕が勉強が苦手だったせいで、いい印象の先生というのは少ないのですが、それでも一人、好きな先生がいます。

 小学校3〜4年生の頃に担任だった「山岸先生」です。

 山岸先生の風貌は、小太りで、眼鏡をかけていて、まあハッキリ書いてしまうと外見はパッとしない、中年の男の先生でした。


 山岸先生は、担任になったその日から、僕たちに変わったことを言いました。

「トイレに行きたくなったら、授業中でも断らなくていいからな。黙って出ていっていいからな。」 最初はみんなとまどいましたが、すぐに慣れて、みんな授業中でも勝手に出て行くようになりました。

 これは、だいぶ後で先生が話してくれたのですが、急に気持ちが悪くなったりすると、口には出せないものなので、そういうときは無理をしないで、すぐトイレなり、保健室なり、自由に行け、という意味でそう言ったそうです。


 担任だった2年間のうち、一度だけこんな事もありました。始業のベルが鳴ったら、山岸先生が「はい、みんな。机にうつぶせになれ〜!話はするなよ〜。」と言って、自分も腕を枕にしてうつぶせになったのです。

 僕たちは「何が始まるのかな!」とワクワクしていたので、当然おとなしくはならず、うつぶせのままザワザワとしていました。

 

 数分間そのままだったのですが、ザワザワしている僕たちを見て、山岸先生は顔を上げ「なんだ、ダメみたいだなあ。今日は気持ちがいい日なんで、この時間はみんなで昼寝をしようと思ったんだけどな。ダメか。じゃあ、しょうがないから授業をするか。」

 僕たちは「ウワーッ」と大きな歓声を上げ「先生、寝るよ!ちゃんと寝るよ!」と言ったのですが、「今、みんな寝なかったじゃないか。ダメだったから勉強するぞ!」と言って、授業を始めたのでした。


 また、山岸先生はその風貌に似合わず、体育の時間に、ラジオ体操をピアノで演奏しました。

 僕たちは山岸先生のピアノで体操をしたのですが、元は音楽の先生をしていたそうです。


 一番印象に残っているのは、僕が「学校に行きたくない」とごねて、父に無理矢理引っ張られて学校へ行って、朝礼に遅れて参加した時がありました。

 泣きじゃくっている僕をクラスメイトが心配して、山岸先生に「建英どうしたの?何があったの?」と問いかけました。

 その時、山岸先生は黒板を使って説明を始めたのです。「KENNYは、こうでこう考えていたのだけれど、こうでこうで…」

 僕は本当に驚きました。山岸先生が、僕がなぜ泣いているかなど、知るわけはなかったからです。

 

 驚きながらも説明を聞いていると、全部山岸先生の作り話なのだが、僕も、誰も、結局何も悪くない、だからみんなも心配はいらない、またいつもの様に仲良く楽しくやっていこう、という結論を時間をかけて、みんなの前で説明したのです。

 先生はその後も、僕に泣いていた理由を聞くことはありませんでした。今から考えてみると、とんでもなく素晴らしい事だと思います。


 僕がマンガの本を持っていくと「先生にもちょっと読ましてくれ」と言って、たくさんの生徒が先生を取り囲んでマンガを読んだこともありました。

 僕が、人に怪我をさせるようないたずらをして、何度か背負い投げをされたこともありましたが、その後、なぜ、どこが悪いのかを、きちんと僕が納得するように説明してくれました。


 そして、実は先生がピアノを弾いているのを見て、僕も先生に「教えて欲しい」と頼んだのです。先生は「放課後とかならいいよ」と言ってくれましたが、僕も照れくさくて、実際に山岸先生に習うことはありませんでした。

 しかし、その頃から、僕も親に頼んで、レッスンに通うようになったのです。


 この話には、ちょっとした面白いエピソードがあります。山岸先生が家庭訪問で僕の家に来た時、非常に驚いてこう言いました。「はあ、お宅はここだったのですか・・・!」 

 良く話を聞いてみると、山岸先生は、僕の家で結婚式を挙げたのだそうです。その頃、僕の家は、結婚式場をしていたのです。


 他にも、書ききれないほどのエピソードがありますが、頭ごなしではなく、生徒がちゃんと納得するように、わかりやすく色々な事を教えてくれたのでした。

 特に僕は、今から考えると問題児だったので、本当にお世話になりました。

 風貌はパッとしない山岸先生。しかし、この先生には、たくさんの事を教わったと思っています。

 今も元気で、子供達の前で面白い授業をしているのでしょうか。

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