僕の好きな先生
学校の先生というのは、僕が勉強が苦手だったせいで、いい印象の先生というのは少ないのですが、それでも一人、好きな先生がいます。
小学校3〜4年生の頃に担任だった「山岸先生」です。
山岸先生の風貌は、小太りで、眼鏡をかけていて、まあハッキリ書いてしまうと外見はパッとしない、中年の男の先生でした。
山岸先生は、担任になったその日から、僕たちに変わったことを言いました。
「トイレに行きたくなったら、授業中でも断らなくていいからな。黙って出ていっていいからな。」 最初はみんなとまどいましたが、すぐに慣れて、みんな授業中でも勝手に出て行くようになりました。
これは、だいぶ後で先生が話してくれたのですが、急に気持ちが悪くなったりすると、口には出せないものなので、そういうときは無理をしないで、すぐトイレなり、保健室なり、自由に行け、という意味でそう言ったそうです。
担任だった2年間のうち、一度だけこんな事もありました。始業のベルが鳴ったら、山岸先生が「はい、みんな。机にうつぶせになれ〜!話はするなよ〜。」と言って、自分も腕を枕にしてうつぶせになったのです。
僕たちは「何が始まるのかな!」とワクワクしていたので、当然おとなしくはならず、うつぶせのままザワザワとしていました。
数分間そのままだったのですが、ザワザワしている僕たちを見て、山岸先生は顔を上げ「なんだ、ダメみたいだなあ。今日は気持ちがいい日なんで、この時間はみんなで昼寝をしようと思ったんだけどな。ダメか。じゃあ、しょうがないから授業をするか。」
僕たちは「ウワーッ」と大きな歓声を上げ「先生、寝るよ!ちゃんと寝るよ!」と言ったのですが、「今、みんな寝なかったじゃないか。ダメだったから勉強するぞ!」と言って、授業を始めたのでした。
また、山岸先生はその風貌に似合わず、体育の時間に、ラジオ体操をピアノで演奏しました。
僕たちは山岸先生のピアノで体操をしたのですが、元は音楽の先生をしていたそうです。
一番印象に残っているのは、僕が「学校に行きたくない」とごねて、父に無理矢理引っ張られて学校へ行って、朝礼に遅れて参加した時がありました。
泣きじゃくっている僕をクラスメイトが心配して、山岸先生に「建英どうしたの?何があったの?」と問いかけました。
その時、山岸先生は黒板を使って説明を始めたのです。「KENNYは、こうでこう考えていたのだけれど、こうでこうで…」
僕は本当に驚きました。山岸先生が、僕がなぜ泣いているかなど、知るわけはなかったからです。
驚きながらも説明を聞いていると、全部山岸先生の作り話なのだが、僕も、誰も、結局何も悪くない、だからみんなも心配はいらない、またいつもの様に仲良く楽しくやっていこう、という結論を時間をかけて、みんなの前で説明したのです。
先生はその後も、僕に泣いていた理由を聞くことはありませんでした。今から考えてみると、とんでもなく素晴らしい事だと思います。
僕がマンガの本を持っていくと「先生にもちょっと読ましてくれ」と言って、たくさんの生徒が先生を取り囲んでマンガを読んだこともありました。
僕が、人に怪我をさせるようないたずらをして、何度か背負い投げをされたこともありましたが、その後、なぜ、どこが悪いのかを、きちんと僕が納得するように説明してくれました。
そして、実は先生がピアノを弾いているのを見て、僕も先生に「教えて欲しい」と頼んだのです。先生は「放課後とかならいいよ」と言ってくれましたが、僕も照れくさくて、実際に山岸先生に習うことはありませんでした。
しかし、その頃から、僕も親に頼んで、レッスンに通うようになったのです。
この話には、ちょっとした面白いエピソードがあります。山岸先生が家庭訪問で僕の家に来た時、非常に驚いてこう言いました。「はあ、お宅はここだったのですか・・・!」
良く話を聞いてみると、山岸先生は、僕の家で結婚式を挙げたのだそうです。その頃、僕の家は、結婚式場をしていたのです。
他にも、書ききれないほどのエピソードがありますが、頭ごなしではなく、生徒がちゃんと納得するように、わかりやすく色々な事を教えてくれたのでした。
特に僕は、今から考えると問題児だったので、本当にお世話になりました。
風貌はパッとしない山岸先生。しかし、この先生には、たくさんの事を教わったと思っています。
今も元気で、子供達の前で面白い授業をしているのでしょうか。
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