ほのぼの話

 

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裏側の腕時計

 ちょっと昔、極々当たり前だったのに、気が付くと無くなっていた…というものがあります。

 

 世の女性のかなりの部分を占めていた「腕時計を手のひら側に付ける」というのも、その1つです。

 ここでは分かり易くするために「表側」「裏側」という呼び方に統一してお話を進めて行きます。


↑これが「表側」


↑これが「裏側」

 ちょっと昔までは、小さい腕時計を裏側でしていた女性がたくさんいました。

 デートの時に「まだ時間は平気?」と聞くと「そうねえ…」と言いながら、女性がチラッと裏側にした時計に目を落とす…という光景を見て心をトキメかせたおとっつぁん達も多いでしょう。

 

 そしてオシャレな職業の男性の間にも、裏側に時計を付けるという事が流行していました。

 最先端が売りの美容院などに行くと、細い体にちょっとナヨッとした感じの、でも腕が良くて人気のある美容師さんは、皆この時計の付け方をしていたものです(時計も女性物が多かったですね)。

 

 そして恥ずかしながら、僕も高校〜20歳くらいまで、裏側に時計をはめていました。しかも女性物の時計です。男性物の腕時計は重いし、僕は汗っかきなので太いベルトが嫌いだったのです。

 しばらくそうしていましたが、その後腕時計をしない期間が数年あり、また腕時計をするようになってからは、自然と普通に表側にするようになりました。


 ある時、ふと「そういえば腕時計を裏側にする人を見なくなった」という事に気が付きました。

 女性でもみんな普通に表側にしています。色々と理由を考えてみたのですが、その時は良くわかりませんでした。

 

 ある日テレビで「いつの間にかなくなったもの」という特集で、この「女性が腕時計を裏側にしなくなった」というのを見ました。みんながこの事実に気が付きだしたのです。

 テレビではその理由を突き止められなくて、ただ「いつの間にかなくなった」と伝えただけでした。


 ずっと疑問に思っていましたが、僕が立てた仮説はこうです。

 これはバブルの頃からだんだんなくなっていったのではないか、と推測されます。ブランドブームと密接な関係があるのです。

 

 かなり多くの割合で、女性はバブルの頃から高価なブランド物の時計をするようになりました。グッチやロレックスなどの、数十万円もする時計をする人も少なからずいたのです。

 それを裏側にしても、当然周りからは見えません。

 それで自然と表側に腕時計をはめ、誰からも見えるようにしたのではないか…という風に僕は思いました。

 言葉は悪いですが「自慢するには表側にして、誰からも見えるようにしなくちゃ」という心理が大きく関係し、その結果、世間の風潮はその波に流されて、無関係の女性までも巻き込み、次々と時計を表側にひっくり返して行くという結果になったのではないでしょうか。


 バブルがはじけてからも、女性達はその風潮のまま現在に至っているのだと思います。女性の腕の文字盤は、今も天を仰いでいます。

 手をちょっと裏返して「んー、もうちょっと平気よ」という女性のしぐさに胸を高鳴らせたおとっつぁん達の想いはもう届きません。

 最近、そういう女性を懐かしく思うようになりました。これも僕がおとっつぁんの年齢になったからなのかもしれません。

 

 ちょっと大人っぽくて、色っぽい女性になりたい方には、この「腕時計を裏側にする」というのを勧めます。

 またああいうしぐさで、おとっつぁん達をシビレさせて下さい。

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ひみつのコンパクト

 僕がまだ小さい頃、テレビで「ひみつのアッコちゃん」をやっていました。知らない人のために説明すると、赤塚不二夫先生という天才漫画家が書いた少女マンガのアニメ版です。


 このアニメの中で、とても不思議なコンパクトが出てきます。コンパクトをひらいて、鏡を見て「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○になあれ〜」と言うとアラ不思議!その姿に変身してしまうのです。

 僕は当時「ひみつのアッコちゃん」が大好きでした。大将のバックに流れるトロンボーンのコミカルな曲も大好きだったし、落語家志望のキャラクターやメガネのチカちゃんも大好きでした。

 小林亜星が作曲したタイトル曲、水森亜土たんが歌うエンディングテーマも大好きでした。


 で、何が一番好きかというと、このマンガのキーワードになっていた「ひみつのコンパクト」が一番大好きだったのです。

 誰にでも変身できる…そう思っただけで、ワクワクしました。そのうち「ひみつのアッコちゃん・コンパクト」が売り出されました。

 僕は男の子でしたけど、このコンパクトを手に入れないワケにはいきません。もちろん買ってもらいました!


 コンパクトを開けると、鏡が出てきました。アッコちゃんは変身できることを誰にも言いません。僕も知られてしまっては大変だと思って、誰もいない部屋の隅で試してみました。

「テクマクマヤコン テクマクマヤコン おまわりさんになあれ〜」

 小声でつぶやきました。…何も起こりません。あれえ?僕は首をひねりました。

「テクマクマヤコン テクマクマヤコン おまわりさんになあれ〜」

 …やっぱり何も起こりません。ヘンだなあ〜?何でかなあ〜?壊れているのかなあ?

 それからも僕は何度か、そのコンパクトを試してみました。でも、いつも変身できませんでした。そのうち僕はコンパクトのことを忘れ、いつしか大人になっていました。


「ひみつのアッコちゃん」がリニューアルされて放映されたのは、僕がすでに大人になってからでした。人気も出て、コンパクトも商品として売り出されました。

 僕が持っていたコンパクトよりもずっと立派で、ライトがチカチカします。すばらしい出来映えです。

 

 でも良く見ると、商品の注意書きの所にこんな文章が書いてあり、僕は愕然としたのです。

「変身はできません」

 

 クレーム処理に苦労しないための注意書きであることはわかります。わかるけど「ホントは変身できるけど、これは壊れちゃってるんだ」と思っていた僕がどれだけ幸せだったことか。


 お父さん、お母さん、今の商品にはこのようなクレーム処理のための注意書きが書いてあります。子供達に渡す時は、どうかその文章を読んで笑ったりしないで下さい。

 もし「ママ、これ壊れてる〜」と言われたら「パパになおしてもらおうね」と言って、旦那様に渡して下さい。

 そしてパパは、本当に変身できるように修理してあげて下さい。

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ツチノコ騒動

 僕は懐疑派(というかほとんど否定派です)のオカルトファンですが、ひとくちに「オカルトファン」と言っても、人それぞれ好みがあります。

 

 僕が一番面白いのはツチノコです。これは昔から目撃や伝説も多く、なんと日本各地にツチノコの名前の方言がたくさん残っています。

 「ノヅチ」「ツチンボ」「ゴハッスン」など、数十の方言で呼ばれているのです。小学校の頃に「釣りキチ三平」を書いているマンガ家が、ツチノコをテーマにしたマンガを描き、僕はそのシリーズを夢中で読んだものでした。

 

 そして2000年の6月に「ツチノコの死骸が見つかった」というニュースが流れ、僕はワクワクしたのです。


 発見され、分析に回されたツチノコは、ドロだらけで良くわからないシロモノでした。正直言って、僕はその写真を見てガッカリしました。

 3週間の分析の末、それはヤマカガシというヘビが、カエルか何かを飲み込んで膨れたのだろう、という結果が出ました。

 僕は「またか」と思いました。このような誤認の例は、今までにもたくさんあったのです。

 こういうエピソードは「逃げろツチノコ」という分厚い本が出ていて、それに詳しく紹介されています。この本は、今でも僕の愛読書です。

 

 そして、このツチノコモドキのヘビは「ツチナロ」という中途半端な名前を付けられたのでした。これは「ツチノコになろうとしたヘビ」という意味で付けられた、トホホな名前です。


 ツチノコの研究をしている人というのは、実はほとんどいません。出版物もほとんどありません。ほとんどが、カエルを飲んだヘビの誤認だと思われているのです。

 でも、目撃者の話の中には、ツチノコを喰ったじいさんの話とか、日本酒を飲ませた人の話とか、興味深い話が山ほどあります。ツチノコのイビキを聞いた人までいるのです。


 ツチノコは幻のヘビなのでしょうか?僕は実はいるのではないか、と思っています。ネス湖にネッシーがいなくても、宇宙人は地球に来ていなくても、幽霊は人間の錯覚でも、超能力は手品でも、それでもツチノコだけはいるのではないかと思っています。というか、僕がオカルトで唯一信じるのがツチノコなのです。

 

 ゴキブリはほとんどの家庭にいるそうです。数年に1回しか見かけなくても、普段から隠れているそうです。

 きっとツチノコもそうやって、どこかでひっそりと生きているのだと思います。

 おそらくウソの証言も多くあるでしょう。信頼できる目撃例など、ほとんどないのかもしれません。しかしツチノコという名前は地方によって様々な方言があり、存在を信じられてきました。目撃した人たちの多くは山で暮らし、ヘビを見慣れている人たちです。その人たちが「あれは普通のヘビじゃない」と言うのです。

 

 実は、僕はツチノコに捕まって欲しくありません。ツチノコファンには、逃げ切れ!と思っている人がたくさんいます。僕もその1人です。

 これはロマンなどではなく、今まで逃げ切ってきたのだから、もう捕まるなよ、という思いなのです。もし逃げ切れているならば、人に「ほら、やっぱりいないじゃないか」と言われても全然平気です。

 

 ツチノコよ、逃げろ!人間になんか捕まるな!

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九官鳥のピーコちゃん

 僕が小学生の頃、家で九官鳥を飼っていました。

 真っ黒の九官鳥に「ピーコちゃん」という勘違いの名前を付けた、うちのばーちゃんのセンスも凄いのですが、とにかく良く言葉を覚えるのでビックリしたものです。

 ばーちゃんが教えた「ピーコちゃん、ピーちゃん」という言葉など、あっという間に覚えてしまいました。その頭の良さに、なかなか言葉を覚えないインコを飼っていた僕は驚きました。


 ある日、九官鳥が変な言葉を喋り出しました。

 

「ごめんくださーい!あれ、いないなあ。あれ、いないなあ。」

 

 なんと留守中に誰かが来て、その言葉を覚えてしまったようなのです。九官鳥は、いつも玄関先に出されていたのでした。

 野太い声で、九官鳥は何度も何度も「ごめんくださーい!あれ、いないなあ。」を繰り返します。

 そのうち「これは誰が来たのだろう?」という推理が始まりました。


 しばらく家族で考えていたのですが、その九官鳥の声の高さやアクセントから、ばーちゃんは「これは●丁目の●●さんに違いない!」と結論を出しました。

 そして、その推理は当たっていたようでした。

 

 その後も九官鳥は「ピーコちゃん、ピーちゃん。ごめんくださーい!あれ、いないなあ。」と喋り続けました。


 九官鳥は台風の日に、かごを家の中にしまうのを忘れて死んでしまいました。

 今でも天国で「ごめんくださーい!」と喋っている事でしょう。

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水が恐い

「幼児体験」が原因で「トラウマ」になってしまう事って、本当にあるみたいです。これは、僕の実際の体験です。


 僕はいつの頃からか、水がとにかく恐かったのです。プールや海につかる、という事ができませんでした。

 お風呂は全然平気なのに、プールや海にはとてつもない恐怖心を抱いていました。

 

 それを実感したのは、小学校3年生のプールの時間でした。

 

 僕はとても体が弱い子供だったので、小学校1〜2年生の頃は体育も休みがちで、プールには1度も入ったことがありませんでした。

 小学校3年生の時に、軽い気持ちでプールに入ることにしました。それが嬉しくて、朝から担任の山岸先生に「先生、僕は今日プールに入るよ!」と報告した程でした。

 

 体育の時間になり、プールに体を入れた瞬間、僕の体はガタガタと震え出し、涙と共に「うおぉぉぉ〜う!」と絶叫してしまいました。

 ものすごい恐怖心と訳の分からない震えで全身が言うことをきかなくなってしまい、硬直してしまったのです。

 僕はクラスメイトに引き上げられ、タオルを何枚もかけてもらい、そのままガタガタと震えながら泣いていました。

 

 その日から、水に対する恐怖を自分で認めたのです。


 それだけではなく、遠浅の海の写真や、沖に浮かぶ船の写真などを見ても、叫び出したくなる程の恐怖を感じました。

 その原因はわからないまま、水に入れない時期は小学校5年生まで続きました。小学校5年生の頃にちょっと泳いでみたところ、すんなり泳げたのがきっかけで、プールにも海にも入れるようになりました。


「どうしてあの頃は水が恐かったのだろうか」と思っていたのですが、30歳を目の前にしたある日、突然記憶がよみがえりました。


 僕が小学校に入る前くらいのまだ小さい時に、僕の母が小さな船で、水平線の真ん中まで僕を連れて行った事があったのです。

 本当に小さな船で、船頭さんが1人、小さな小さなモーターを操っていました。

 

 沖に出た時、そこは藻が海面にビッシリと浮かんでいて、小さなモーターが何度も止まりました。

 母は船頭さんに「大丈夫ですか?」としきりに聞いています。「これは藻がスクリューに絡まって止まるんだ」と船頭さんは答えています。

 僕は恐くて恐くて震えていました。

 

 遠い記憶ですが、ある日突然、なぜかこの事を思い出したのです。


 母に「こういう事があったでしょ?何でそんな事した?」と聞いてみると「確かあなたが臆病だったから、度胸を付けるためにした事だと思う」と答えたのでした。

 しかし、母の考えとは逆に、僕は水に対して恐怖心を憶える子供になってしまったのでした。


 今でも僕は、南の島の美しい遠浅の写真や、海の真ん中に浮かぶ島や船の写真を見ると、発狂しそうな程の恐怖心を憶えます。たぶん、これは一生消えないでしょう。

 幼児体験というのは、後の人格にまで大きく影響するのだなあ、と実感しています。

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ピカピカ・キラキラ

 僕は小さい頃から、ピカピカ光る物、キラキラ光る物が好きで好きでたまりません。ラスベガスに行ったら、卒倒すると思われます。

 

 小さい頃は、女の子が買うようなイミテーションの宝石、特に七色に輝くダイヤモンドが大好きでした。

 オモチャ屋さんに行っても、他のオモチャよりも、イミテーションのダイヤモンドの方が気になって仕方がありません。

 しかし男子たるもの、そんな物を欲しがるのはハズカシイ事だというのは、とても良くわかっています。

 だから、人通りが途切れた瞬間を狙って、親にねだって買ってもらうのです。そして、僕が「宝箱」と呼んでいた丸いクッキーの缶に、買ってきたキラキラピカピカのものを入れるのです。

 

 ある時、母の宝石の指輪がテーブルの上に置いてありました。僕はどこで憶えたのか「これを母の形見にしよう」と決めて「宝箱」にしまいました。

 しかし「形見」は母に見つかってしまい、取り上げられてしまいました。また僕の「宝箱」の中は、イミテーションの宝石だけになってしまったのです。


 ある日、家庭教師の先生が「プリズム」を借りてきてくれました。光を一方から入れると、七色の虹の光が現れる、とても神秘的なものでした。

 それが欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、先生はとても大切そうにしまい込み、プリズムを持ち帰り、2度と持ってきてくれませんでした。「きっと高い値段なんだろうな」と思ったのを憶えています。

 

 今でもその家庭教師の先生と、たまに会って食事をします。少し前に、僕も忘れていた事を話してくれました。

「工事現場でクルクル回っている赤い光があるでしょ?ケンちゃんは私に、あれと同じ物を作れって言ったのよ」

 これには自分でもあきれてしまいました。でも、先生は僕の無茶な願いに応えようとして、大学の先生にまで相談したそうです。

 その頃は電飾の光が一番好きで、工事現場のクルクル回る光に入れ込んでいたようなのです。


 僕が映画「トラック野郎」にハマったのは、それからすぐでした。今から考えると、菅原文太よりも、トラックのピカピカする電飾に憧れていたのだと思います。

 自分の自転車に電飾をたくさんつけて走っていたのもその頃です。後年「デコチャリ」と呼ばれるようになりました。


 大人になってもピカピカキラキラを追いかけています。僕がディズニーランドの年間パスポートを買ったのは、夜のパレードを見るためです。

 この光のパレードにはハマりました。全部で30億円かかったそうですが、将来お金持ちになったら、全部買おうと思っています。

 

 どこかの女優が「私の血はワインなの〜」と言ったそうですが、僕の体の中は、キカイダーのように電飾でピカピカしています。

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世界一好きな食べ物「シオビキ」

  僕が世界で一番好きな食べ物が「シオビキ」です。「シオビキ」とは、仙台の方の方言らしく、全国的には「塩じゃけ」と呼ばれています。

 甘塩や中塩ではダメで、白く塩を噴いた物でないとダメです。ほんの一切れで、どんぶりのゴハンが1杯食べられてしまうくらい辛いものが好きです。

 良く「何々があったら、メシいくらでも食える!」という表現がありますが、僕にとって「シオビキ」はまさにそれで、それこそ腹がパンクするまで食べていたい!と思うオカズであります。

 

 あまりにシオビキが好きなため、中学生の頃は「シオビキのケン」と呼ばれていた事もありました(実話)。昔は、自分で魚市場まで行ってシオビキを選び、買ってくるほどでした。

 当時は「シオビキ仮面」なるマンガのキャラクターまで作り、クラスメイトに大受けしていました。


 こんなに好きな塩引きですが、今では年に数回食べるか食べないか、という悲しい状況になっています。

 なぜか?

 それは「東京では塩を噴くようなシオビキが手に入らない」という悲しい現実があるからなのです。

 一時期、近所のスーパーで「辛塩・昔の味」という名前で、とても辛い、まさに「シオビキ」を売ったことがあり、僕は狂喜乱舞をしてしょっちゅう買って食べていました。

 しかし、世の中は減塩ブーム、あっという間に姿を消してしまい、とても悲しい思いをしまいした。

 僕にとって「シオビキ」とは、一生それだけ食べ続けてもいいと思っている程、大きな存在なのです。


 昔は「ドカベン」と呼ばれる大きな弁当箱に、白く塩を噴いたシャケを入れていた男性が多かったと聞きます。

 今は物があふれていますが、僕が世界一好きな「シオビキ」が簡単に手に入らない状況というのは、とてもサビシ〜事なのです。

 

 これから僕が死ぬまで、あの白く塩を噴いたシオビキを、何度食べることが出来るのかなあ〜と考えると、とても絶望的な気分になります。

「日本全国シオビキブーム」というものを、将来巻き起こしたいと、真剣に考えております。

 シオビキ万歳!

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